Red Eye(レッドアイ)は、ヒップホップ界の次世代を担う若手最有力のラッパーです。
「高校生ラップ選手権」の優勝後は音源やライブで躍動するRed Eyeですが、最近では優勝賞金2,000万円という過去最大のMCバトル『BATTLE SUMMIT Ⅱ』へ出場することが発表され、大きく注目されています。
»【2024】バトルサミットとは?大会のルールや出場者、優勝賞金を徹底解説
そこで今回は、若手最有力候補のラッパー「Red Eye」とはどのような人物なのか、プロフィールや経歴、過去のMCバトル、おすすめの曲などを徹底解説したいと思います。
Red Eyeとは
Red Eye(レッドアイ)とは、大阪府住之江区出身のラッパーです。
20代前半という若さですでに3枚のアルバムをリリースしており、「D.O」や「ANARCHY」、「漢 a.k.a GAMI」、「般若」、「CHEHON」など、数々のレジェンド級ラッパーやレゲエDeeJayと曲で共演しています。
髪型はブレイズヘアという編込みのヘアスタイルが印象的で、見た目の派手さこそありますが、顔立ちも綺麗に整っており、どんな人に対しても腰が低く礼儀正しいので、女性ファンも多いです。
しかし実は少年時代はかなりの不良。最近Red Eyeを知った人は信じられないかもしれませんが、過去には数々の危険なエピソードもあります。
RedEyeのプロフィール
アーティスト名義 | Red Eye (レッドアイ) |
本名 | 宮本大地 (みやもと だいち) |
生年月日 | 2002年2月23日 |
身長 | 169cm(推定) |
出身 | 大阪府住之江区 |
家族構成 | 4人家族(父、母、兄) |
最終学歴 | 中学校卒業 |
Red Eyeの本名と名前の由来
Red EyeというMCネームは、直訳すると「赤い目 = Red Eye(レッドアイ)」。
中二のときに初めて先輩のライブに呼ばれて出ることになった際、告知のフライヤーに載せるMCネームが必要になる。このときに、先輩たちから「いつも目が赤いから」との理由で「Red Eye」というMCネームを提案されます。
ここでラッパー「Red Eye」が誕生しました。
本名である「宮本大地(みやもと だいち)」とはまったく関係のない名前ですね。
Red Eyeの年齢
Red Eyeは2002年2月23日生まれ。
現在の年齢は、
になります。
現在活躍する多くのラッパー・HIPHOPアーティストの中でもかなり若いですが、すでに若手とは思えないほどのラップスキルと経歴を持ち合わせています。
間違いなくこれからのヒップホップ界を担うラッパーの1人となるでしょう。
Red Eyeの身長は169cm?
Red Eyeの身長は公式には発表されていません。
ですが同じステージに立つ他のラッパーなどと比較して推測すると、大体169cmという情報がWeb上では有力です。
少し小さい印象があるかもしれませんが、169cmは日本人の平均身長くらい。
「高校生ラップ選手権」などの映像を見るとまわりが高身長なラッパーが多いので小さく見えてしまうかもしれませんが、独特な雰囲気とファッション性で周りを魅了する存在感は圧倒的でした。
Red Eyeの性格
Red Eyeはまだ若いですが、どんな人にも腰が低く礼儀正しく接しています。インタビューなどでも質問に対して笑顔でしっかりと答えていますよね。
Red Eyeは「シンプルに好きなことを誰になんと言われようとも突き進んでやってきた」、「中途半端が嫌いで、何かを極めるなら他のことに片足を突っ込んだりはしたくない」と話していたこともあるので、人に流されず自分の道をしっかりと突き進んでいく性格であることがわかります。
多くのレジェンド級ラッパーと音源で共演していることもあり、「漢 a.k.a GAMI」や「般若」などの、かなり上の世代から可愛がられることも多いです。
また、今でこそ穏やかな印象のあるRed Eyeですが、昔はかなりの不良であり喧嘩も好きだったからという理由で、不良として「全国制覇をする」という目標も立てていたこともあったそうです。
Red Eyeの経歴
住之江区で誕生〜幼少期
Red Eyeは2002年2月23日に大阪府大阪市の住之江区にて生まれました。
住之江区(すみのえく)は大阪市の南部に位置する区で、大阪湾に面しています。競艇場があることで有名で、ギャンブラーや酔っ払いが多く、海沿いの工業地帯などは不良や売人も多いので、その辺りは治安が悪いと言われています。
幼少期には3歳年上の兄と、よく一緒に野球をして遊んで過ごす。
父親はRed Eyeが2、3歳の頃に出ていってしまい、4年に一度くらいの頻度で帰ってきて、少し住んではまた出ていくというような人だったそう。
しかし、そんな父親の影響により、Red Eyeは不良の道に進むようになります。
父親の影響により不良を目指す
Red Eyeが不良の道に進んでいったのは、父親の影響が大きいとのこと。
父親についてのインタビューにて、
"環境のせいにはしたくないんですけど、
父親は〇〇中で30年くらいイキまくってて、
女のところを渡り歩いていた。
けど、その道ではしっかりした名前のある人で、
たぶんどっかに憧れもあっただろうし、
(父親を)超えたいっていうのもあったと思うんです。"
と話していたことがありました。
父親自身がかなりの不良だったようで、Red Eyeが物心ついたときには家におらず、4年に一度くらい帰ってくる人だったとのことです。
一方で母親は、自分を犠牲にして自分を育ててくれた愛情深い人だったようです。
父親はRed Eye自身には優しかったそうですが、父親と母親との間に色々あり、それがRed Eyeは許せなかったとのことです。
Red Eyeは、不良になれば父に再会できる。そして母親に謝らせることができるという少し特殊な理由で、不良になること決めました。
実際に不良の道に行けば行くほど、父親の名前を聞くようになり、父がかなりの不良だったことを知ります。
次第に父に対する憧れや、そんな父を超えたいという気持ちが芽生え始めえたと言っています。
そしてRed Eyeは父親と再会し、アウトローな生き方を学びます。
Red Eyeにとっては父親というより悪い先輩に近い存在であり、「商売とはこうやるんだ」というものを教えてくれたそうです。
不良の少年時代
中学校に入るとRed Eyeは野球を辞め、喧嘩や格闘技をするようになります。
正門にスプレーで落書きをしたり、職員室に向かって椅子や石を投げつけ、窓ガラスを割ったりと、多くの不良行為をしていたとのこと。
また、Red Eye本人曰く、中学時代は常にナイフを持ち歩いているような少年だったとのこと。実際に職員室で教師を刺そうとし、警察に保護されたこともあるようです。
(ちなみに童貞を卒業したのも中学1年生とのこと)
しかし不良としての道を進んでいたRed Eyeは、2012年にあるラッパーがリリースしていた楽曲を聴くことで衝撃を受け、ラッパーという道に進むことになります。
D.Oの「悪党の詩」に出会いラッパーを目指す
Red Eyeは12歳の頃、D.Oというラッパーの「悪党の詩」という曲を聴き、「大衆に届く音楽で、綺麗なことではない過激で危険な経験も歌っていいのか」と、この曲に衝撃を受けたそうです。
ラッパーのD.Oさんも本当の不良なのに、ラップが上手く、しかも繊細という、すべてがRed Eyeにとって憧れだったと話していたことがあります。
「音楽でなら全国に自分の名を轟かせることができる」と直感し、父親を超えられるのはこれ(音楽)しかないと思ったRed Eyeは、そこから音楽にのめり込んでいくようになります。
最初は適当にビートを流してラップをして遊んだり、曲を真似て歌ったり、リリックを書いて遊んでいた。
そしてある日、友達と公園でラップをしていたら、30手前くらいのBボーイみたいな人たちが参加してきて、その人達がやっているサイファーに誘ってもらったそうです。
Red Eyeはしばらく1人でそのサイファーに参加し、ラップスキルを磨いていたそうです。
MCバトル:「高校生ラップ選手権」で全国に名を轟かす
ラップスキルを磨いているうちに、「高校生ラップ選手権」というMCバトルの大会に出会い、全国に自分の名前を轟かすチャンスがやってきます。
Red Eyeは15歳のときに初めて『第12回高校生ラップ選手権』に出場。
初出場ながらベスト4という大躍進により、一気に名前を全国に轟かせました。おそらくRed Eyeを知ったきっかけを聞かれると、8割以上は高校生ラップ選手権ではないでしょうか。
ブレイズヘアに赤いサングラスという派手な見た目、そしてビッグマウス、その見た目や言動を超えるラップスキルは衝撃的でした。
その後もRed Eyeは高校生ラップ選手権に出場し続け、『第16回高校生ラップ選手権』で見事優勝します。
優勝後のインタビューでは、「バトルにはもう出ない、ゆくゆくは音楽で世界を目指したい」と話しており、とても優勝直後とは思えないくらいの落ち着きぶりでしたね。
その言葉の通り、現在は楽曲制作やライブでの活動を中心に活躍しています。
Red Eyeが出場した「高校生ラップ選手権」の戦績については、以下で詳しくまとめました。
ラッパーとして音源とライブで活躍
高校生ラップ選手権のあとは本格的に音楽制作に没頭し、中卒であるRed Eyeは職業「ラッパー」として、10代にしてすでに月3桁万円以上を稼いでいました。
次々にシングルの楽曲を発表し、18歳のときに初めて地元アメ村で開催したワンマンでは、チケットは即完売の大成功を納めました。
D.Oと共演
そしてRed Eyeはついに、ラッパーになるきっかけであり憧れのラッパー「D.O」さんと対面します。
Red EyeとOVERKILLがタッグを組んで制作した楽曲、『POCKET』に、D.Oさんと大阪出身の大先輩であるJin doggさんが参加することが決まりました。
このMV撮影のときに初めてRed EyeはD.Oさんと対面したそうです。
D.Oさんは当時20歳のRed Eyeについて、「この歳でこれだけのストリートマナーを身につけている子も珍しい」と言っており、かつて不良だった経験とそのラップスキルが憧れの存在に認められる要因となったのかもしれません。
ANARCHYとの約束
さらに高校生ラップ選手権の第13回大会で初戦敗退した際、「更生したら、俺のところに来て一緒に音楽やりましょう」と言ってくれたANARCHYさんとも約束どおり、楽曲POCKETの続編『POCKET2.0』にてコラボを果たします。
D.Oさんに続き、日本のヒップホップ界のキングまでもが、Red Eyeをトップ階級へと引き上げる動きをしてくれました。
こうしたレジェントたちとのコラボによって、そのたびに多くのものを学び、吸収することでRed Eyeは成長を加速させていきます。
そして20歳の頃には大阪の『club JOULE』や渋谷の『O-East』といった大きなライブハウスでもワンマンを開催し、チケットは即完売の大成功を収めます。そしてそのまま全国12箇所をまわる全国ツアーを開催するなど、活躍の勢いは止まりません。
悪党の詩(Remix)
そしてその後、D.Oさんが刑務所から出所した直後には、ついに『悪党の詩(Remix)』をご本人と共に歌うことになりました。悪党の詩はRed Eyeが12歳のときに聞いて衝撃受け、不良からラッパーに導いてくれた楽曲。
8年前、D.Oさんの悪党の詩に出会ってなければ俺はこのHIPHOPという世界にもいなかったと思う。
— Red Eye (@_RedEyeofficial) July 3, 2022
12歳のよれまくってた自分に言いたい。
20になったら身体を綺麗にし憧れの人と憧れの詩を隣で歌ってんで
これが本当のHIPHOP DREAMhttps://t.co/GVxCly86Wu
D.Oさんのことは今でも尊敬しており、楽曲だけのコラボに留まらず、友達としてもプライベートで一緒に遊んだりするなど、まさに夢を現実にしたHIPHOPドリームの体現者ですね。
そして21歳には3度目のワンマンを地元大阪の『GORILLA HALL』にて開催。もちろん今回もチケットは即完売。その後も全国ツアー「WAGON」を開催するなど、楽曲活動の躍進は止まりません。
MCバトル:「バトルサミット2」へ出場が決まる
もう一度伝説を作ろっか#BATTLESUMMIT #RedEye pic.twitter.com/185s3b3o3l
— Red Eye (@_RedEyeofficial) March 16, 2024
『第16回高校生ラップ選手権』にて優勝してからMCバトルには出場していなかったRed Eyeですが、2024年8月14日に開催される『BATTLE SUMMIT Ⅱ(バトルサミット2)』というMCバトルに出場することが決まりました。
バトルサミット2は優勝賞金が2,000万円という過去最大のMCバトルイベントです。出場者の1人目としてRed Eyeの名前が発表されたときの会場の歓声やどよめき、SNSの盛り上がりも凄かったですね。
関連:BATTLE SUMMIT2の開催が決定!出場メンバーやバトルの詳細を解説
およそ5年ぶりのバトル出場となるRed Eyeですが、どのようなバトルになるのか非常に楽しみですね。
Red Eyeのおすすめの曲
悪党の詩 REMIX
「悪党の詩 REMIX」は、RED EYEがラッパーになるキッカケとなったD.Oの「悪党の詩」のリミックス。 これは外せないおすすめの曲です。
自身の壮絶な経験や人生が表現された、原曲と並ぶ歴史に残る名曲です。
少年A
「少年A」は、RED EYEがはじめて書いた曲。
実際に”少年A”と呼ばれていたことのあるRed Eyeは、今でも少年期の自分のことを、社会不適合者だったという自認から「少年A」と表現することも多い。
過去の自分を振り返りつつ、日々の思いや感情、将来への決意表明などが純粋にリリックに込められた曲です。
POCKET2.0
「POCKET2.0」はラッパーのAnarchyとのコンビ曲。
Red Eyeが『第13回高校生ラップ選手権』で初戦敗退した際に、「一緒に音楽やりましょう」と言ってくれたANARCHYさんとのコラボが実現されました。
また、OVERKILLのコンビ曲、『POCKET』の続編となる内容です。
Nakid Fact
「Nakid Fact」はアルバム『LIVING』に収録されている曲。
Nakid Fact = “赤裸々な事実”という曲名の通り、「15、16で月に300、500は捌いた」というプッシャー時代や、「15、16で月に三桁以上吸い込んだ」というキマりっぷり、「17、18では音楽で月に三桁以上稼いだ」というラッパーとして経験した事実がリリックに綴られています。
まとめ
過激な不良少年だったRed Eyeは、ヒップホップの音楽に出会い、ラッパーという道に進みました。
高校生ラップ選手権で優勝し、多くの注目を集め、憧れのレジェンドラッパーたちとのコラボを果たす。
数々のアルバムもリリースしており、20代前半にして既にこれだけの功績を残しているRed Eyeは、間違いなく日本のヒップホップの未来を明るく照らしてくれる存在となるでしょう。
Red Eyeはどこまで昇り続けるのか、これからの活動も非常に楽しみです。
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